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国立市の歴史
昔からこの地域は湿地帯になっており、水田に適していることで、稲作が盛んに行われていたと言われています。この地には学問の神様として有名な菅原道真をまつる神社、谷保天満宮があります。谷保天満宮は今から1000年以上前の平安時代から存在し、道真の3男、道武が父の死を受けて、道真の木像をまつったことが神社の創始となったと伝えられています。
鎌倉時代の頃から、この地域は「谷保郷」と呼ばれ、御家人の津戸氏が治めていました。江戸時代に入り、甲州街道を中心に民家が立ち並び、村へと発展していくと、1889年、谷保村・青柳村・石田村飛地の3村が合併し、「谷保村」となりました。そして1893年に、多摩地区は神奈川県から東京府へと移管されます。
西武の創始者である、堤康次郎は、武蔵野の雑木林100万坪を切り開き、英国の田園都市と米国の都市を融合した理想の「学園都市」としてのまちづくりを目指しました。区画整理された街路が敷かれた後、国立音楽大学や一橋大学を誘致し、国立駅が開設されるなど、まちは発展の歩みを始めます。
第二次世界大戦による疎開と、戦後の住宅復興によって、人口は増大し、1951年に国立町になりました。また、そのころ隣町の立川では、米軍基地があることから歓楽商売店が繁盛していました。その波が国立までくると、環境を守るために市民や学生が立ち上がり、文教地区指定運動を起こして「文教地区」の指定を受け、歓楽街の進入を防ぎました。その後、1965年に国立市が誕生すると、1998年までに市の人口が7万人を超えるまでになりました。そして現在も自然豊かな学園文化都市として更なる発展を目指し、取り組みが行われています。
(国立市資料提供)


